その7:「まさかの出会い」
中心部といっても人通りの少ないオベラの街。
まず見つけたのはマテ茶のポスターが貼ってあるカルチャーセンター。
中に入ってみると、受付のおばあさんがマテ茶をすすっていた。
文章を差し出す。
老眼を取り出して文章を読み、スペイン語で何か尋ねられるが理解できない。
困ったおばあさんがおじいさんを呼ぶ。
おじいさんも英語が話せない。
おじいさんがガウチョ風のイケメン青年を呼ぶ。
青い目で金髪のいかにも英語が話せそうな青年だったが、だめだった。
3人でいろいろああでもない、こうでもない、と話合っているのを申し訳ない気持ちいっぱいで見守る。
適当にあしらわれて、追い返されても仕方がないこの状況。 三人で熱心に話し合ってくれているだけで感謝の気持ちでいっぱいだ。
するとおじいさんが「Near Walk OK?」と聞いてくる。マテ茶農家が近いのか!?
「もちろんOK!」と言っておじいさんについていく。
行き着いた場所はマテ茶農家ではなく、街のツーリストオフィスだった。
ここであれば英語話せる人がいるかもしれない!と期待したのもつかの間、出てきたおばさんも英語は話せなかった。
またもやおばさんとおじいさんが、ああでもない、こうでもない、と言っているのを申し訳なく見守っていると、おじいさんが電話帳を繰り出し、指をさす。
見てみると「ONITSUKA」と書いてある。
なんと!この街に日本人がいるのだろうか!?
おじいさんがそのオニツカさんに電話してくれるも生憎の留守。
しばらく考えたおじいさんが再び「Near Walk OK?」というので「OK!!!」とついていく。
たどり着いた店を見て驚いた。
壁のあちこちに日本語の書道が貼ってあるのだ!
書いてある文字はというと
「やった事よりやらなかった事を悔いる」
…まさに!!
「こんにちは!」と出てこられたのは比嘉ミルタさんという女性。
「まさか日本人の方にお会いできるとは思ってもみませんでした!」と喜ぶ私を見ておじいさんはよかったよかった!と素敵な笑顔。握手をしてお礼を言っておじいさんと別れる。お役所仕事なんて言葉とは正反対の本当に優しいおじいさんだった。
それにしてもまさかここに来て日本語が使えるとは思ってもなかった。さっそく比嘉さんに尋ねる。「ところで私たちマテ茶を探していて、オーガニックのマテ茶農家をもしご存知であれば教えていただきたいのですが…」
「?」
「マテ茶農家を探しておりまして…」
「?」
「!!?」
…日本語が通じなかった。
もちろん英語も通じない。
例の文章を見せても手がかりは得られなかった。
もはやこれまでか…。
それでも私たちを歓迎して下さる比嘉さんと、スペイン語と日本語とジェスチャーでしばらく話をする。
また振り出しに戻って、誰かにあの文章を見せるところから始めよう。お礼を言って立ち去ろうとする私たちを、比嘉さんが引き止める。
どこかに電話をして下さるようだ。
受話器を渡されて、電話に出てみると
「こんにちは!小川と申します!私は日本語が話せますのでご安心ください!」
「…小川さん!!!」
小川さんと電話でしばらく話をし、お宅にお邪魔させていただけることになった。
比嘉さんとお別れし、小川さん宅へタクシーで向かう。
小川さんの家に入ると懐かしい気分でいっぱいになった。
外はアルゼンチンであるが、中はまるで昔のおばあちゃんちに来たような雰囲気だった。
小川さんは日系2世だった。
といっても、家族とともにアルゼンチンにやってきた時は12歳だったため、日本語が堪能なのだ。
先に会った比嘉さんは日系3世。この地で生まれたため、日本語はいくつかの単語を知っているくらいだということだった。
一時間程、小川さんの家のテラスでゆっくりお話をする。
小川さんによると、このオベラの地では日系人が多いらしい。
と言っても、ブラジルなどと比べると数はものすごく少ない。
三世以降になると混血が進み、日本語を話さない方も多いという事だった。
日本語を忘れる…といえばまるで良くない事のようだが、そうではなくて、それだけ日系人の方々が地域に根ざして溶け込んだ証なのだろう。「移民」と聞くと、私は遠い異国の地で苦労を重ね大変な思いをした人々、というイメージだったが、目の前にいる小川さんの元気でハツラツとした明るい人柄を見ていると、そのようなイメージは打ち砕かれた。もちろん大変な目にもたくさんあっただろう。けれどそれを明るく笑い飛ばせるような、たくましさと芯の強さを感じた。
マテ茶の話をすると「わざわざこんなところまで来られたのに、それは大変!そうだ、このあたりの日系移民第一号の帰山さんという方がいらっしゃいます。その方に聞けば何か情報を得られるかもしれません。夫は今、店番をしているので、替わりに私が店に立ちます。夫に車を出してもらって、帰山さんのお宅へ行ってみてください!」と言って下さった。
バスで小川さんのお店まで一緒に行き、そこからは小川さんの旦那さんの運転する車で帰山さんのお宅へ。
小川さんの旦那さんは20歳位の時、単身このアルゼンチンに来られた。
そのため、日本語ももちろん堪能だ。小川さん夫妻はもちろんスペイン語も話されるが、普段は日本語で会話されているらしい。
帰山さんのお宅はお茶畑を進んだ、森の中にあった。
小高い丘の上にある素敵なお宅だ。
お庭は綺麗に整備され、色とりどりの花が咲き乱れており、こんな家で一日読書できたらどんなに素晴らしいだろうと思うような場所だった。
帰山さんは日系三世。おじいさんの帰山徳治さんは第一次世界大戦の後、幼い帰山さんのお父さん含め、家族とともにこの地に来られた。
現在、大学教授をされている帰山さんはさすが顔も広く、オーガニックのマテ茶農家を紹介していただけることになった。
ただ、その時はすでに陽は落ちかけており、私たちも翌日の朝には再度ポサーダスに戻らなければいけない。午後からポサーダスでデイブがマテ茶農家のオーナーさんを紹介してくれることになっていた。そこで私達は二日後、またここに戻ってくる約束をして帰山さんの家を後にした。
小川さんの車で山の中を走る。
「ここがマテ茶畑です。降りてみましょう。知り合いの畑なので大丈夫ですよ。」
目の前には念願のマテ茶畑が広がっていた。
ついに…ついにやってきたのだ!!!
大きい。
緑茶の木をイメージしていたので、想像以上に大きなマテ茶の木々を見上げる..
「マテ茶の茶葉は生でも美味しいんですよ。ちょっと葉っぱを囓ってみてください。」
言われた通り葉っぱをかじると、口の中にフレッシュな香りが広がった。
その後に香り高く感じるのは、確かにいつものマテ茶の香りだった。
これが生きたマテ茶の葉っぱの味なんだ!
今までの気持ちも乗っかっていたのかもしれない。生のマテ茶はとてもおいしかった。
時はすでに遅く、茶畑の上にはまあるい満月が出ていた。
まるで「ようこそいらっしゃいました」と歓迎してくれているかのような、大きい見事な満月だった。
[マテ茶探しの旅]
記事一覧
その1:「マテ茶との出会い」
その2:「アルゼンチン・ブエノスアイレスへ」
その3:「ポサーダスの夕暮れ」
その4:「"マテ茶"をたずねて三千里と絶望」
その5:「マテ茶の神、降臨」
その6:「オベラで再び途方に暮れる」
その7:「まさかの出会い」
その8:「上手くいくこともあれば、いかないこともある」
その9:「マテ茶のすべてを知る」
その10:「最後に」