UTOPIA


TRAVELING REPORT / 01

 

マテ茶を探す旅

アルゼンチン/ミシオネス州

 

その5:「マテ茶の神、降臨」

 

 

オベラに行けばいい…そんな情報を手にしたものの、それでも気分は沈んだままだった。
行ったところでスペイン語がわからないのだ。
街でこれだけ英語が通じないのだから、小さなマテ茶農家が英語を話せる可能性なんて皆無のように思えた。
ドミトリー部屋の二段ベッドの下に潜り込み、ふて寝をする。
しばらくするとホステルの従業員さんが新しいお客さんを連れてきた。
どうやら私の横のベッドに泊まるようだ。
いつもであれば「オラ!」とこちらから挨拶をするのだが、そんな気力もない。
黙ったまま、ふて寝を続ける。
すると向こうから私の二段ベッドの下を覗きこんで「オラ!」と声をかけてきた。
スペイン語で話しかけられたのだが、アルゼンチン人の顔立ちではない。
試しに「英語話せますか?」と訪ねてみると「もちろんだよ!ニューヨークから来たんだから!」とのこと。
ベッドに寝たまま、簡単な自己紹介と世間話をする。

それにしても観光地でもないこのポサーダスにニューヨークからわざわざ何しに来たんだろう…?

そう考えていたのはお互い様だったようで、「何しに来たの?」と尋ねられる。
「マテ茶を仕入れたくてここまで来たんだけど、何のコネクションもなくて…。時間もなくて、もう途方に暮れて…」

「え!!!?マテ茶探しに来たの!?」

「…!?」

「僕もだよ!いや、僕はすでにビジネスを始めていて、今回はマテ茶農家の知り合いに会いに来たんだ!こんなことってある!?すごい偶然だね!!!!」

「ええええええ!?」

慌てて飛び起きて、漫画のように二段ベッドで頭をぶつける。
彼の名前はデイブ。ニューヨークからやってきたアメリカ人。
NYでマテ茶のビジネスを始めて数年。
今ではアルゼンチンだけでなく、ブラジルやパラグアイの茶葉も輸入して、ビジネスを広げているらしい。
「そんなことなら僕が知り合いの農家紹介してあげるよ!」
と見せてくれたマテ茶のパッケージを見ると、ブエノス・アイレスでマテ茶テイスティングをした時にチェックしていたあのマテ茶である!!!!
「マテ茶の場合、農家との契約以上に難しいのが輸送方法なんだ。アルゼンチンは遠いからね、輸送するだけで茶葉の何倍ものコストがかかってしまってそれがネックなんだ。だけど大丈夫!ずっとベストな方法を探してきたから、バッチリ教えてあげるよ!だってマテ茶を広めたいって異国人がこんなホステルで隣のベッドになるなんてことある!?これはもう奇跡だよ!これからアメリカと日本で手を組んでマテ茶をどんどん広めていこうよ!」とのお言葉。
 
神降臨!!!!!
 
しかも…
日本にいる間、マテ茶に関する文献を探していたのだけれど、日本語の本なんてほぼ見つからないので、英語の本をチェックしていた。
なんと、その著者がデイブだったのだ…!!!!
なんたる奇跡!なんたる縁!!!
今世界で一番会いたい人が私の隣のベッドにやってきた!!!!

後々考えると、デイブはすでにNYでマテ茶ビジネスを大きくさせていて、ポサーダスまでも私達のようなバスではなく飛行機を使い、翌日からはいいホテルに泊まっていた。
どうしてこの日だけ激安ドミトリーに泊まっていたのかほとほと疑問なのだが、これはもう神様が助けてくれたか、死んだおじいちゃんがあの世で見かねて手を貸してくれたとしか思えない。

明日はデイブもオベラにマテ茶畑の視察に行くという。
私たちもオベラに行く予定だと伝えると、「じゃあ明日の朝、農場のオーナーが車でここまで向かえに来てくれるからその時頼んでみようよ!ラッキーだったら一緒に畑まで連れてってもらえるかもしれないよ!」
もうなんていい人なんだ、デイブ!いや、神様!!!

夕食がまだだということだったので、私たちのチョリソーとステーキで一緒にディナー。
ホステルのみんなもこの奇跡的な出会いを喜んでくれ、みんなで楽しい夜を過ごした。
明日はついに念願のマテ茶畑に行けるかもしれない!
そう思うと、興奮して寝付けなかった。



その6「オベラで再び途方に暮れる」に続く

 

[マテ茶探しの旅]

記事一覧

その1:「マテ茶との出会い」
その2:「アルゼンチン・ブエノスアイレスへ」
その3:「ポサーダスの夕暮れ」
その4:「"マテ茶"をたずねて三千里と絶望」
その5:「マテ茶の神、降臨」
その6:「オベラで再び途方に暮れる」
その7:「まさかの出会い」
その8:「上手くいくこともあれば、いかないこともある」
その9:「マテ茶のすべてを知る」
その10:「最後に」