初めてキリムを目にしたのは海外のインテリア雑誌だった。
絨毯でもない、インドの物とも違うこなれた雰囲気のラグ。
ビンテージ風のお部屋にしっくりとなじんだそのラグは、長く大切に使われた物だからこそ醸し出せる古き良き味わいがあった。
むしろそのラグ自体がそのお部屋の雰囲気を作っている。
主張しすぎず、しっくり馴染んでいるから一目見ただけでは特に何も気がつかないのだけど、
明らかにそのラグはその場の空気を落ち着いた味わいのある物に作り変えていた。
その後も何度か雑誌の中でそのラグを見かけた。
素敵だな、と思う部屋には必ずといっていいほどそのラグが敷かれているのだ。
その時は「キリム」という名前も知らなかった。
ただ、そのラグの持つ不思議な魅力が心に止まった。
数年後、トルコを旅している時にそのラグを見つけた。
どうやらキリムという名前で、トルコの工芸品であるらしい。
これは是が非でも手に入れなければ!
勇み足でキリム屋を訪れたのだが、値段を目にして驚いた。
ものすごく高いのだ。
そもそもキリムにはニューキリムとオールドキリムという二種類のキリムがある。
普通に考えればニューが高くてオールドが安いと思うが、キリムの場合は逆だ。
工場で機械織りされたニューキリムに対して、オールドキリムとはトルコ周辺の遊牧民たちが手で織ったもの。遊牧民たちは結婚前の娘さんが嫁ぎ先に持っていくためだったり、子供が生まれた時に織ったりと、大切な節目で作ることが多い。女性達は1枚のキリムを数ヶ月にも渡って丹精に織り上げる。
キリムの柄も一つずつ意味がある。安産祈願であったり、家族の健康であったり、女性達の願いや祈りが丁寧に織り込まれているのだ。大切に織られたキリムは耐久性も非常に高いことから、遊牧民達は一生をかけてそのキリムを大切に使用する。それら遊牧民のキリムを譲り受けた物…
それがオールドキリムである。
細い糸で細い模様を施された遊牧民の技術は素晴らしく、現代の機械ではその技術を再現できない。また工場の製品はケミカルな方法で染色するが、遊牧民たちは草木染めを行う。ケミカルな染色だと長い年月の間に色が白く抜けてしまうのだが、草木染めは違う。もちろん日に焼けるうちに色は薄くなっていくが、白く色が抜け落ちることはなく、グラデーションのように段々その色を淡くしていく。使い込むほどに美しく変化していくキリム。通常たいていの物は新しい段階が一番価値があり、使うごとにその価値を落としていく。けれどキリムの場合は逆なのだ。大切に使い込んでいくと、新しい物よりも価値が上がる、ということも珍しくない。
そのような理由でオールドキリムはニューキリムよりも値が張るのだ。
またトルコには数多くのキリム屋があるが、その中でも良い店を選ぶは非常に難しい。
オールドキリムの価格は、遊牧民から譲り受けた際の額に由来することが多いため、同じようなクオリティの物でも値段の差が非常に大きい。また慣れないと機械織りと手織りの判別が難しいため、確かに使い古したオールド品だけど実は工場で作った物…ということもある。観光客があまり立ち寄らないローカル地区に行くと、道路にキリムが敷いてあったりする光景を見かける。現地の友人に何をしているのか尋ねると、新しいキリムをわざと通行する車に踏ませ、オールドっぽく見えるように細工しているのだと言うのだ。価格が高いだけに観光客を騙すキリム屋が後を絶たず、この点がキリム選びをより一層難しくする。
そこで私たちはまず、信頼できるキリム屋を探すことから始めた。
街の人に聞き込み、たくさんのキリム屋を訪れ、最終的に行き着いたのが各国の大使館御用達の高級キリム屋だった。
場所は一等地、まるで超高級ホテルのような造りの店構えに、中に並ぶ美しいキリム。他の店ではたいていキリムに値段がついておらず、交渉して価格が決まるのだが、この店はすべて定価が決まっている。そしてすべての商品に品質を保証する第三者機関の証書がつけられている。
その辺の店でタイヤに踏まれたキリムを購入するなんて絶対に御免だ。若干他の店よりも高いけれど、ちゃんと安心できるキリムがほしかったため、私たちはその店で購入することにした。
ただ…中に入って商品を見たのだけれど、私がほしいようなキリムがない。
やはり外交官や各国の要人が訪れる…という店なだけあり、置いているキリムや絨毯のテイストがきらびやかで…マダム好みっぽいのだ。
お金持ちの家ってこういうの敷いてるよね!みたいな物が並んでおり、私たちが求めているようなテイストのキリムを見つけることができなかった。
いくら品質が良くても、テイストに合わないものを買う気にはなれない。
もう一度振り出しに戻って、他のキリム屋も当たってみることにした。
ただ、他のキリム屋でも同じようなテイストが多く、「おしい!」という物は見つけられても「これだ!!」と感じられるものは見つけられないかった。
そのあたりで気がついたのだが、どうやら私が求めているのはかなりレアなテイストらしい。
一般的に人気のキリムや絨毯はやはりマダム風テイストであるため、遊牧民からキリムを購入する人たちもそのようなテイストを好んで買ってくる。そのため、私のようなテイスト外れはなかなか好みの物が見つからないようだ。唯一見つけた「これだ!」というキリムは店の奥の棚の一番奥に無造作に突っ込んであったキリムだった。お店の人にも「え?これがほしいの?変わってるねー!」と言われる始末。
ただ、私がほしいのは雑誌で見たような古き良き風合いのこなれたキリムであり、断じてマダム風キリムではない。
もうイスタンブール中のキリム屋は見倒したんじゃないか?というくらい日々キリム屋を見て回ったが見つけられず、再び元の外交官御用達の店に行ってみた。「もしかすると見逃していただけで、一枚くらいは好みのものが見つけられるかもしれない。」と思ったのだ。
店についてまたいろいろなキリムを見せてもらうが、やっぱりどうもピンとこない。お店の店員さんに事情を話すと、「そりゃ難しいよ〜そんなのなかなか見つからない」とのこと。「ただもしかするとうちのオーナーなら君とテイストが合うかもしれない!うちのオーナーもかなり変わってるんだ!一度会ってみるかい?」と店員さん。こんな高級店のオーナーとテイストが合うとは思えない…と思いつつもとりあえず一度会ってみることにした。
店員さんに案内され、店の二階のオーナーのコレクションルームに通された。
暗くて狭い階段を登り、コレクションルームのドアを引いた瞬間、驚いた。
まず聞こえてきたのが部屋全体に響きわたるテクノな音。
部屋に満ちたインセンスの香り。
ざっくばらんに所狭しと積み上げられたキリム、天井から釣り下がるサイケデリックなオーナメント、テーブルに並べられた…というか適当に置かれたオブジェ達。なのだが、その置き方が適当に置かれているようで実はすべて計算されているのか?と思うほどオブジェのセレクトも置き方もハイセンスなのだ。
何から何まで下のマダム風な店構えと大違い。
驚きを隠せず唖然としている私に「こっちこっちー!」と奥からオーナーの声。
「ごめんね、今バックギャモンの途中でね、悪いけどちょっと待ってね!」と言うオーナーを見てさらに唖然。
あんな高級店のオーナーにも関わらず、出てきたオーナーはTシャツにねじりハチマキ姿。
店員さんたちはみんなビシっとスーツで決めているのに、オーナー…ねじりハチマキ!?
オーナーのゲームが終わるまで部屋を見てまわる。積み上げられたキリムに目をやるとそのすべてが素敵!!下の店に置いてあるキリムとは全然違う。
しばらくするとオーナーがゲームを終えてやってきた。
「いやいやごめんねー!なに、驚いた?下の店と全然違うでしょ。僕もキリムが大好きで店をやってるんだけど、僕の好きなのはちょっと変わっててね。この部屋はトルコ中で見つけた僕好みのキリムをコレクションしている僕のコレクションルームなんだ!気に入った?よく撮影にも使われてるんだ!」と見せてくれたのはヨーロッパのブランドのルックブック。
モードな服に身を包んだモデルさんが積み重ねられたキリムの上で笑っている。なるほど、キリムは案外モードなテイストにも合うのかもしれない。
さっそく目をつけていたキリムいくつか指差してみたが「だめだよ〜この部屋にあるのは僕のコレクションであって売り物じゃないから。」とオーナー。「でも物によっては譲ってもいいかな、と思うものもあるかもしれないから、他に気に入ったものあったら声かけて!」
どのキリムを見ても素敵だったので、きっと数枚くらいなら譲ってもらえるかな?と考え、10枚ほどピックアップしてみる。
「これはダメ、これもダメ、これもダメ。うーん、譲ってあげられるのはこの1枚かな!」
なかなか厳しい。10分の1の確率だと思うと、選ぶのもなかなか大変である。
ただ、こんなに素敵なキリムが揃っている場所はきっとトルコ中探しても他にはないだろう。
根気よく、たくさんのキリムを引っ張り出しては聞き、を繰り返し数枚は確定した。
それ以外にも素敵なものはあったのだが、購入できるような価格ではなかったため諦めた。
最後の1枚は先に「これもダメ!」と言われたのだが、どうしても諦めきれず、交渉して譲ってもらえることになった。
オーナーのコレクションはさすが!という額の物もあったが、比較的安価な物もあった。それらはオールドキリムはオールドキリムなのだが、まだ若い。 だいたい15年〜20年前くらいの物である。これが40年とか50年物とかになってくると目が飛び出る価格になる。それであれば最初から美しい淡い色でなくても、使っているうちにだんだん移り変わっていく様子を見れて、さらにお求め安い価格である方がいいんじゃないか?と思い、20年くらいの物を中心に選んだ。長い人生、キリムと一緒に成長していくっていうのも素敵ではないだろうか。ただし、その色の移り変わりはどうしても譲れないポイントであったため、遊牧民が織った草木染めであることを条件に選んだ。結果、最終的に気に入った、そして日本の家にも合わせやすいようなキリムと1枚のビンテージカーペット(絨毯)を選ぶことができた。
ずっとキリムの話をしていて、買ったの絨毯!?とお思いだと思いますが、実はトルコはキリムと同じくらい絨毯も豊富に作られています。そしてこのビンテージカーペットも同じく、一般の店ではマダムなイメージの物しか置いていないので諦めていたのだが、ここに来て好みの物が見つかり、ついキリムを差し置いてこちらに決めてしまった。
現在、私の家でもキリム2枚とビンテージカーペットを1枚使用している。
これまた海外の雑誌でキリムとビンテージカーペットを重ねて置いている写真を見て、どうしても真似したくなったのだ。
キリムは薄く見えて実は結構しっかりしているため、床に置いて上から掃除機をかけても吸い付いて離れない、ということもないのでなかなか便利である。またベッドの上にかけたり、ソファの上に置いたり、車のトランクに荷物を多く積む場合はその上に敷いたりなど、かなりたくさんの用途で愛用している。どこに持っていっても、キリムを置いた瞬間、突然良い雰囲気を作ってくれるので、見る度に悦に浸っております。
ちなみにこのオーナーさん、もうすぐこのコレクションルームを閉めるかもしれない、と言っていた。「こんな売り上げに繋がらない部屋、もったいないです!」と社員達にいつも言われてしまっているらしい。
昼間からバックギャモンを楽しんでいるオーナーの様子を見ると、定員さんたちの気持ちも非常によくわかるのだが、どうかいつまでもあのコレクションルームを閉めないでもらいたい。
世界各国の変わり者を代表して希望致します。